KUMIKO 便り
KUMIKO便り 1.30 ☆スギとインフルエンザ☆
インフルエンザが流行ってきていますが、皆様大丈夫ですか。
実は、杉には調湿や断熱効果だけじゃなく、殺菌作用もあるそうです。
醤油樽や酒樽に使われたり、「わっぱ飯」のわっぱも杉ですよね。
これは殺菌作用プラスほどほどの木の香りの効用もあり。
遥か昔からの先人の知恵を紐解けば、経験値から続いてきたことが、
実は科学的にも真実だったりするのですね。
さらに美味しく熟成させる力もあるようです。
それが、美味しい味噌になったり、お酒になったり、吟醸になったりするのでしょうか・・・??
(これはお米の精米度かも?しれません。もっと追究しなければ・・・お酒のスキな番人・・)
花粉ばっかりクローズアップされてしまっていますが、こんなことを改めて聞くと
杉ってエライと思いませんか。
そして、美味しいのも嬉しいのですが、インフルエンザにも有効とか。
これは杉だけとは限っていない「木」の話しですが、
日本の木造に使われる杉の比率を考えれば杉の建物の話しともダブります。
実際に研究機関で調査した学級閉鎖の率が、
木造校舎の学級閉鎖率が10.8%の時、
鉄筋コンクリートの校舎の場合は22.8%、
ついでに言えば、内装が木質の児童たちの場合は12.9%と違いが出ています。
(出典:(財)日本住宅・木材技術センター「1993年度木造校舎の教育効果報告書」より)
これは、殺菌作用というよりは、室内の乾燥が鍵だとか。
これについてはまた、次回にお話ししますね。
では、今週も素敵な1週間でありますように。
KUMIKO便り 1.30 ☆KUMIKOの暖かさのワケ☆
寒中を実感する日々が続いていますが、風邪などひいていませんか?
須賀川も寒い!です。
特にKUMIKOは西に那須山地を見下ろす高台にありますので、この土日は、風が強いこともあって、本当に寒かったです。外は終日0度から上がりませんでした。
でも、中は土曜日の朝でも9度、日曜日は11度。昼には20度を超えました。
風がひゅるひゅるいう音が聞こえても、ストーブの薪がはぜる音を聞いていると、なおあったかさを実感します。
ちなみに、KUMIKOからわずか6キロの我が家は、ストーブをたいている部屋のみ10度位に上がりますが、他の部屋はずっと0度。外と同じ気温です。
今朝はマイナスでした。
寒いというより、冷たいという表現がぴったり。手が痛くなります。
あ、我が家は在来工法木造築35年です。(震度6の地震には大丈夫だったのですがね〜)
須賀川に越して来た頃はこの寒さに驚いていました。
寒暖計を見てウソ!!と思った位。
だから、暖かい浜通りの被災者さん達が会津の避難生活でどれ程寒い思いをしているか実によくわかります。
(これは仮設住宅が寒いのではなく、5〜10度も気温差のある温かい地域から雪国へ移動して体が慣れないことを言いたい・・・念の為書き添えます)
でも、3年も過ぎるとこの寒さには慣れました。寒さには・・・。
さて、KUMIKOの暖かさは、屋根で受けた太陽熱を室内に取り込んでいる「そよ風」の力でもありますが、
これは晴れていなければその恩恵は受けられないので、なにより、床・壁・天井の作りにその秘密があります。
まず、壁は、通常ビニールクロスを貼る内壁部分が、厚さ35ミリの杉の無垢板になります。
これだけでもう十分あったかい感じがしますが、更に、その外側に85ミリ厚のセルローズ断熱材が充填されています。
セルローズは、段ボールを粉砕したものに、ホウ酸といって目薬などに使われるものを混ぜた、土に還るエコな材料です。
そしてさらに18ミリの通気層があって、外壁に又々厚さ18ミリのスギ無垢板を重ね貼りにしているのです(下見板張りといいます)。
段ボールも元々の材料は木ですから、KUMIKOのあったかさは木の力によるものなのです。
床も35ミリの厚さのスギの無垢板です。
これは断熱効果に加えて、柔らかな肌触りで冷たさを感じさせないことが最高です。
フローリング(工業製品の床板)の冷たさとは比べものになりません。
天井(吹き抜けの上)には12ミリのスギ無垢板があり、
その上に壁と同じ断熱材が160ミリ充填され、
その上に更に35ミリ厚のスギ無垢板があり、そして屋根が乗ります。
壁は一部漆喰塗になっていますが、こちらは昔からのやり方の木舞をかくのではなく、
上記の杉板の上にさらに9ミリ厚の杉を木摺りにして(クロスして貼ること=つまり18ミリ厚)麻縄を付けて漆喰を塗っています。
この厚さが約25ミリ。(この白壁が杉の空間の中で素敵なインテリアとして映えます)
というわけで、KUMIKOは暖かいのです。
冬来たりなば春遠からじ
あと4日で立春です。寒さもあと少しです。
春は目の前。
KUMIKO便り 1.20 ☆薪ストーブの灰の線量☆
寒中お見舞い申し上げます。
復興住宅に埋没している間に、松の内はあっという間に過ぎ去り、寒中となってしまいました。
本日は大寒。暦通り雪です。KUMIKOのまわりも真っ白です。
私は、KUMIKOから見える景色の中で、雪景色が一番好きです。
目の前の真っ白の里山を見ていると(柄にもなく)ビバルディの四季「冬」が頭の中で蘇ります。
「白い道」と題した、日本語訳がついた童謡?になっています。
穏やかな明るい旋律で、晴れ渡った真っ青な空の元、しんとした雪景色の中を歩いて行く少女の姿が瞼に浮かびます。
歌詞三番目の「母さんが歩いたように風の中も負けないで」の部分が、現実的な道と
これから、自分が生きていく道を重ねているのではないかとそんな事を思わせる美しい曲です。
白い道
原曲: Antonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ
作詞: 海野洋司 (うんの ひろし)
編曲: 石川皓也 (いしかわ あきら)
NHK みんなのうた 1975年12月〜76年1月 初回放送
どこまでも白い ひとりの 雪の道
遠い国の母さん 今日も お話を聞いてください
あれからもう 三年過ぎ この道に また白い雪
サラサラ 鳴ります
北国の冬は きびしく 辛いけど
母さんと歩いた道は あたたかい思い出だけ
れんげの春 トンボの秋 忘れません 声をあわせ
うたった あの歌
あしたも この道 歩きます ひとりで
母さんが歩いたように 風の中も負けないで
いつか 春の風が吹けば 歌いましょう あの日の歌
ひとり この道で
You Tube で聞くことができます。 http://youtu.be/F3IcwyNpivQ
ところで、KUMIKOは週末土日しか開けないので、土曜の朝は冷えています。
(建物は人がいないと冷えます)
今朝は外気温が1度でした。中は7度ありましたが、早くあったまりたい!のに、薪ストーブの火が点かない。
なぜなぜ?と不思議に思いながら2度3度と試みて、やっと思い当りました。
昨日、二本松市で、薪ストーブの灰から高線量の放射能が、とニュースにありましたので、KUMIKOのストーブの灰も念のため測定しようとみんな取ってしまったのでした。
灰が無いと薪は燃えにくいのですねぇ。
こんなことも、一昨年の1月30日にKUMIKOが誕生してから3度目の冬にやっと気が付く番人です。
ちょっと前だったら、(炊飯器が誕生してほんの50年なのです・・)竈(かまど)でご飯を炊かなくちゃならないから、お嫁に行けませんね^^:。
KUMIKOの薪は一昨年のもので、屋根の下に保管してありましたが、念のため、検査機関で測定して貰っています。
なお、薪ストーブユーザーの方の為に簡単に情報を載せておきます。
指標値が出されているのは、あくまで調理用の薪に関してですが、
利用制限基準値は40ベクレル/sです。(H23.11.2林野庁通知)
灰は8000ベクレル/s。(H23 .6 .28 環境省「一般廃棄物焼却施設における焼却灰の測定及び当面の取扱いについて」より)
同じ1キログラム中の濃度の値の違いに驚くかもしれませんが、これは1sの薪を燃した時に出る灰が5gであることを踏まえて換算すればご理解頂けるでしょう。
なお、薪は通常、燃やすときの焼成温度がセシウムの沸点641度より低いので、薪中のセシウムはほぼ全て灰に残ります。
だから、煙に乗ってセシウムが飛散するということはないとのこと。
なので
万が一、飛散したとしても、粒子の大きさから、飛散距離はせいぜい数百メートル。
だから、仮に飛散したとしても、大気中で希釈され、検知不可能な濃度となるそうです。
ただ、灰は吸い込むと内部被曝になりますので、片づける際に気を付けて(マスクを付けるなど)ください。
そして、灰の処理はそれぞれの自治体の取り決めに従う様になりますが、
KUMIKOの建つ須賀川と事務局のある郡山の場合は不燃物回収日に出してくださいとのことでした。
参考まで。
では、寒中、風邪などめされませんよう、暖かくしてお過ごしください。
KUMIKO便り 12.25 ☆はやクリスマスです☆
そして、今日は新月。
灯り講座の日が満月で、素晴らしい皆既月食の天体ショーを見てから、はや15日経ってしまったんですねぇ・・。
しずしずと欠けていく月と、隠されていく部分の赤い影。
真っ黒になって、また、ひたひたと逆から現れてくる月の神々しさ。
心底それを見られた幸運に感謝しました。
写真は豆粒にしか映らないと思い、撮りませんでした。
心の中でシャッターを押して録画しました。
さて、揺らされ続けた平成23年もあと1週間で終わります。
年が改まったら新しい展開が開けて欲しいものです。
除染の予算に3721億円つきました。
きっちり、やって欲しいものです。
除染、そして保障。
よろしくお願いします。
KUMIKO便り 12.9 ☆明日は灯り講座☆
昨年秋に、灯り工房庵Lysの生原きみほさんを講師に迎え、
お作り頂きました木の灯りです。
今年はバージョンアップして和紙のナイトライトです。
KUMIKOでも形違いのナイトライトをつけていますが、
ふんわりした灯りが素敵な雰囲気を醸し出してくれています。
明日、皆様がどんな表情のものを完成させるか楽しみです。
完成後は暗室で点灯式をしますが、これ、なかなか感激する瞬間です。
何かを成し遂げた後のゆったりした気分でするお茶はまた格別でしょう。
今年もブルーベリーアイスを用意しています。どうぞお楽しみに。
明日は満月でもあります。
写真は、前回の満月があまりに綺麗でしたので、郡山にある事務局(建築工房)の駐車場からスタッフが撮ったものです。

そして、下があと少〜しで真ん丸になる今宵の十四番目のお月様です。

明日は2000年以来の、久々の皆既月食となります。
始まりはPM9:45頃から。
完全に重なる時刻は11:18頃です。
そして一晩かけて徐々にまた表れていきます。
明日は折しも土曜日。天を仰ぎ月見酒といきますか?
KUMIKO便り 12.5 ☆チェロ&チェンバロコンサート in KUMIKO☆
皆様お疲れ様です。
KUMIKO便りなかなか更新できず、久々となってしまいました。ごめんなさい。
お陰様で「チェロ&チェンバロホームコンサート in KUMIKO」一昨日無事開催できましたことをご報告いたします。
雨の中、ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。
20名定員に対して、30名参加という、12畳ほどのリビングには少々ぎゅう詰め状態ではありましたが、楽しいひと時をお過ごし頂けたのではないかと、帰り際の皆様の顔を見て思いました。
「友人の別荘でお茶を飲みながらのホームコンサートを味わった気分」とのコメントを頂戴した時は、企画の苦労が吹き飛んでいく思いでした。(心の中でガッツポーズ!)
チェリストは仙台フィルのメンバーである八島珠子さん。チェンバリストは山元陽子さん。
八島さんの穏やかな語り口のトークと、クリスマスを迎える季節にふさわしい曲は、震災や日常のうさを忘れるひと時を生み出してくれました。
プログラムは、
1. G線上のアリア(バッハ)
2. 無伴奏チェロ組曲第1番プレリュード(バッハ)
3. ソナタL,209(スカルラッティ)
4. ソナタ第1番1,2(スカルラッティ)
5. アヴェ・マリア(グノー)
6. モミの木
7. アダージョ(バッハ)
8. 演奏会用小品集より
9. アヴェ・ヴェルム・コルプス(モーツァルト)
10. オンブラマイフ(ヘンデル)
その他、数曲。
想像していた通り、床・壁・天井・家具建具全て柔らかい杉で包まれた、吹き抜けの空間は、反響、吸音全てにいい具合で、満足満足でした。
八島さん、山元さん本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。
素晴らしい演奏を聴いた後は美味しいコーヒーでお口をほぐして頂きたいと思い、奮発して郡山にある事務局近くのカフェ「小さいおうち」さんから仕入れました。
豆は金曜日に頂きに行ったのですが、運んだ車と我が家が何とも言えない芳しい香りに満ち満ちて、私も幸せな気分になりました。
番茶は開成の富屋蔵さんからです。薪ストーブでことこと煮出して作りました。
コーヒーのお供は猪苗代産のブルーベリーを使ったアイスで、金賞を受賞したものです。
美味しかったですねぇ。
ご協力いただきました皆様、ありがとうございました。
さて、来週10日は去年好評だった手作り灯り講座を開きます。
今年も山梨の生原きみほさんが来てくれます。
写真は彼女がプレゼントしてくれたKUMIKO葉っぱマークのナイトライトです。
KUMIKOの奥の部屋にあるお月様のナイトライトも彼女の作です。
和紙を通した10wの小さな灯りが何とも言えず、優しい雰囲気を醸し出してくれています。
今回は、葉っぱや月と同様、和紙でハート形を作ります。写真右のクリスマスバージョンがお勧め。
初冬の里山を前に薪ストーブのあったかさに包まれて、ほっこりした時間を過ごしませんか?
今回もコーヒー&アイス付きです。
ただ今受講生募集中。
お問い合わせ、ご予約は地球と家族を考える会事務局024−923−5400まで。
みなさまのご参加お待ちしております。
では、今週も素敵な1週間をお過ごしくださいね。
KUMIKO便り 11.8 ☆古代郡山湖☆
今日は立冬です。
暦通り、朝晩冷え込んで参りました。風邪などひいてないですか?
KUMIKOでは先週からストーブを焚き始めました。
KUMIKOがほっこりとした空気に包まれる季節の到来です。
今冬のトレンドは電気を使わない暖房器具+ウォームビズだそうですが、薪ストーブに太陽熱利用のKUMIKOはまさにトレンド住宅ですね。
トレンドはさておき、火を見ながら薪をくべたり空気の量を調節するのは気持ちが穏やかになる良いものです。
写真はKUMIKOの庭の秋景色と須賀川の紅葉です。
この夏は暑かったので例年より鮮やかさが少ないような気がしますが、やっぱり、この美しさには魅了されてしまいます。
山茶花と紅葉
旭ヶ丘公園の紅葉
神炊館神社の紅葉
ところで、久々に震災のお話しです。
3.11の大震災は、日本列島を乗せたプレート(岩板)と、その下に年約8センチ(!!)沈み込む太平洋プレートとの境界で蓄積されたひずみが解放されて起きたそうですが、
その解放されたエネルギーなどを分析し、GPS(全地球測位システム)から算出した年間ひずみ蓄積量で割り出したら、438年の間隔で巨大地震が起きているとの推計が出たと、先月、静岡で行われた日本地震学会で発表されました。
KUMIKO便りで、以前この度の大震災を千年に一度、と書きましたが、一気に半分以下の頻度になってしまってのですねぇ。
そしてもう一つ、学会で発表されたことに、KUMIKOの事務局のある郡山市とKUMIKOの建つ須賀川市について興味深い報告がありました。
何度も書いていますが、郡山・須賀川は津波の被害ではなく、純粋に地震波による家屋倒壊等の被害が甚大です。
県災害対策本部によると、全半壊の棟数が、郡山では県内最多の2732棟、須賀川はそれに次ぐ、1124棟とのこと。
浜の方では、津波の被害はあっても、揺れによる被害が少なかったのに対し、こちらは家屋倒壊、地盤沈下による被害が多く、7か月経った今は解体に依って更地がそこここにできてしまって、それが寂しい風景を作り、復興へ向かう気持ちを萎えさせるものとなっています。
地震学会での報告は、KUMIKOの直ぐ近くの玉川村出身の東大大学院生の小林達也さんの調査によるもので、郡山市〜矢吹町の甚大な家屋への被害は古代に郡山湖があった地域と一致するというものでした。
郡山湖の大きさは猪苗代湖の約3倍以上の面積だそうですが、2万3千年前までに大部分が沼地になっていたにも関わらず、です。
須賀川は400年前に伊達正宗に滅ばされた二階堂家の城の埋め立てたお堀後に沿って家屋、同路の被害があると書きましたが、2万年もの年月が経ってもなお、影響があるということに驚いています。
こんな地盤の地域で安全な住まいを建てるためにはどうしたら良いのか、今、色々調べて対策を講じている最中です。
現在設計打ち合わせ中のK邸にご注目ください。
KUMIKO便り ☆ご来場ありがとうございました☆
昨夜は満月でしたね。
須賀川では雲一つない夜空にまん丸のお月さまがこうこうと輝いていました。
月の近くには寄り添うように木星が煌めき、その美しさをさらに引き立てていました。
見事な夜空でした。
昨夜の満月は今年一番小さい満月だそうです。
一番大きく見えた3月の満月を10円玉に例えれば、昨夜のは1円玉位とのこと。
月って、地球の周りを正円ではなく、楕円を描いて回っているのですねぇ。
ラジオから流れてきたお話でした。
さて、震災より7か月が経ちました。
私達の震災復興応援プロジェクト「森に帰る暮らしの始まり」講演会、お蔭様で無事終了いたしました。
杉で造った板倉の仮設のお話から、3.11に須賀川で起こった地震動による建物の被害のお話まで、熱く語って頂きました。
実に濃密な授業を受けている感じでした。録音されている方も何人かいらっしゃりましたね。
安藤先生、本当にありがとうございました。
ご参加くださった皆様にも、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
詳しくはまた後日ご報告しますね。


KUMIKO便り ☆2百年に一度☆
みな様、先日の台風は大丈夫でしたか?
今回の台風15号で、KUMIKOの建つ須賀川は大きな被害を被りました。
3.11は“千年に一度”でしたが、9.21は“2百年に一度”の災害だそうです。
私達はわずか半年の内に未曾有の大災害に2度見舞われたわけです。
信じ難い思いです。
地震に、原発、そして、水害。
まるでドラマのようにこれでもかと襲いくる災害。 という感じです。
須賀川市内には阿武隈川と釈迦堂川の2本の1級河川が流れているのですが、これが観測史上最高の水位を記録しました。
両河川が交わる処には遊水池が作られてあるのですが、わずか1時間で溢れたそうです。つまり、まるで役に立たなかった…。
付近のリンゴ畑、田んぼは水没です。
市内の床下床上浸水は278棟(9/22現在)。
※9/29須賀川市災害対策本部記者発表で253棟に修正
人的被害が無かったことが救いですが、その数字の中には被災者の為の仮設住宅の58世帯も含まれています。
やっと、仮設住宅に入れて、ホッとしたのも束の間。迫りくる水の勢いにどれほど怖ろしかったことでしょう。
今後は、修繕はもちろんですが、隣の鏡石町の空き仮設住宅に移るなり、民間の借り上げ住宅に移るなり、できるそうです。
どうか、これにめげずに元気を出してほしいと切に願います。
ところで、
「暑さ寒さも彼岸まで」を今皆様も実感しているのではないでしょうか?
写真は庭の木々が色づき始めた秋のKUMIKOとKUMIKOから望む西の那須連峰、そして古民家です。
草が伸びていて、春に写真を撮った位置まで行き着けませんでしたが垣間見てください。
それから、KUMIKOに来る途中で、私が一番好きな景色の写真です。
秋の空気の向こう、山が澄んでいます。
リンゴも色づき始めました。須賀川はリンゴの産地です。
須賀川は桃も、梨も名産です。
でも、今年は風評被害でめちゃくちゃ安くて、それなのに売れず、農家は大変な思いをしています。
どうかみな様、福島のリンゴ、買って食べてください。
「買って食って支える」が強力な強力な復興支援になります。
ボランティアだけが復興支援じゃありません。
献金もありがたいですが、買って食って支える、も大きな支援となることを知って頂きたいです。
これこそが風評被害を吹き飛ばす大きなチカラとなります。
稲穂も頭を垂れ始めました。
この写真の左手には安達太良山が見えます。美しい山です。
高村光太郎の詩集「智恵子抄」に謳われている山です。
私はこの「智恵子抄」が大好きです。
純粋に高らかになんの遠慮もてらいもなく、真っ直ぐに愛を謳っています。
人間、こんなに素直に愛を表現できたら、どんなに素晴らしいことでしょう・・・。
以前に載せた「海を見よ」でも、普段は美しい海が自然の脅威になると書かれていましたが、智恵子抄には「樹下の二人」に今回暴れた阿武隈川も出てきます。普段は穏やかな川なのです。 ―以下お時間のある方どうぞ。
――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
KUMIKO便り ☆月と木星☆
お気づきでしょうか。
月と木星が接近しています。
そして今宵、9/16はお隣同士に並びます。
今日は寝待ち月ですので月の出が遅く、月と木星がお隣同士になった姿が見られるのは夜半になると思いますが、起きておられたらぜひ東の夜空を見上げてみてください。
月の次ぐ傍に寄りそうきらきらと輝く木星が見られます。
素晴らしく綺麗です。そして、きっと安らかな気持ちになれると思います。
昨年の5/16の金星と三日月のランデブーはそれはそれは美しいものでした。
その日は日曜日でKUMIKOを開けていましたので、夕方仕事を終えて玄関を出た途端、真っ暗な南西の空に細い爪のような三日月と金色に光る金星が並んだ姿が目に飛び込んできました。
思わずため息がもれました。
わずか1時間ほどの月と星のランデブーでした。
素敵なプレゼントを貰ったような気持ちになりました。全ての事に感謝したい気持になりました。
今宵もそんな夜空が見られると思います。
ところで、
KUMIKOの建つ須賀川の総鎮守、お諏訪様に、『心に旅を』と題した神社本庁のポスターが貼られてあります。
手を合わせた祈りの写真の横にこんなことが書いてあります。
“自分の心に、少しだけ旅をさせてあげましょう。
手を合わせ、目を閉じるだけで毎日の忙しさから 心を解き放してあげることができるはずです。
自分へ、自然へ、祖先へ、〜向き合う心の旅。
静かな気持ちで、無垢な心と向き合えれば、その奥底から、きっと答えが帰ってきます。
毎日、心に旅を。”
掌を合わせ、目を閉じると、否が応でも心の奥へ向き合うことになるのですが、
凡人の私は、心の旅に出る前に、その時一番気になっていることに向き合ってしまいます。
思わず知れず、こうなって欲しい、と念じてしまいます。
今宵、寝待ち月と木星に向う時、きっとその美しさに思わず掌を合わせてしまうと思います。
1日も早い震災からの復興、なにより原発の終息を念じたい。
KUMIKO便り ☆中秋の名月☆
みな様お疲れ様です。
先週の8日は“白露”。野草に白露が宿り始める季節、秋の到来ですね。
一昨日10日は十三夜でしたが、午後からお天気が崩れ、夕方は一時停電となるほどの激しい雷雨でした。
でも雨のおかげで雨あがりの夜空に美しく光る十三番目の月を見ることができました。
何度も書いてますが、KUMIKOの回りには灯りが無いので実に夜空が綺麗に見れます。
週末は須賀川の秋祭りでした。総鎮守である、お諏訪様から神輿が沢山繰り出されました。
お社がライトアップされることで、逆に周りの鎮守の森の木立が月夜に黒々と浮かび上がり、笛や太鼓の音が賑やかなのに、妙に静かな幻想的な雰囲気に浸れる不思議な祭りです。写真を掲載したかったのですが、うまく撮れず残念・・・。
そして、今日は中秋の名月です。
「中秋の名月」の日が満月の日となるのは6年ぶりだそうです。
これはKUMIKOの近くの星の村天文台の台長のお話ですが、確かに、昨年を振り返ってみますと、9月23日が中秋の名月でしたが、その日は十五番目の月で、その翌日が満月、まんまるとなりました。
9月23日は秋分の日で、KUMIKOを開けていましたので駐車場からみた月をよく覚えています。
今日は夕方からお天気が崩れるような予報でしたが、見られると良いですね。
ススキとお団子をお供えし、空にお月様を仰ぎ、願いを叶えるという満月に祈りましょう。
昨日で東日本大震災から半年、アメリカの同時多発テロから10年です。
KUMIKO便り ☆「森に帰る暮らしの始まり」講演会☆
みな様お疲れ様です。
やっと、TOPに掲載しました10月8日の安藤邦廣先生講演会のチラシが出来あがりました。
ネットでご連絡できる方には添付でチラシをお送りします。
葉書はただいま準備中です。少々お待ちください。
安藤先生は福島県の仮設住宅の設計を板倉造りでされています。
7月末に被災者さん方が入居される前に見に行ってきました。
ここは、徳島の杉と福島の杉のコラボレーションです。徳島の林業家さん、製材所さん、本当にありがとうございました。
ところで、講演会のタイトル「森に帰る暮らしの始まり」とは、
“東北復興の資源は森林資源を基本としよう”という安藤氏の言葉にその意味が込められています。
いわく、
「東北の基幹産業である木材産業の振興はいうまでもなく、その経済効果によって森林整備が進められると、地域環境や、水質の保全が図られ、沿岸の漁業資源にも好影響が及ぶ。〜原発に依存することの危険性がまざまざと示された。自然エネルギーと自然素材への転換が急務になっている。森林資源はその最も確かで、安定した、安全な資源であり、〜生活燃料としても大きな潜在能力を秘めている。太陽エネルギーの最も効率の良い利用は木材利用であることを忘れてはならない。」
(『住宅建築』2011年10月号より抜粋)
会場となる東公民館は須賀川市の中心部にある市役所(震災で内部機能は移転中)から10分程。KUMIKOに来る途中のコンビニ脇にある公民館です。
みな様、お誘い合わせてお越しください。
心よりお待ちしております。
KUMIKO便り ☆仮設高齢者サポートセンター完成☆
みな様お疲れ様です。
朝夕めっきり涼しくなり、過ごしやすくなりました。
ほんの2週間前は暑くてKUMIKOの棟温度は90度までいっていましたのに、先週からはぐっとさがりました。
この夏の気温は暑くなったり寒くなったり(涼しいを通り越して)ジェットコースターに乗っているような感じでしたね。体調を整えるのが本当に大変だったのではないでしょうか?
そのぐっと気温が下がった20日はKUMIKOのある須賀川の花火大会でした。
花火はあちこちで夏の夜空を彩りますが、“全国“と冠がつくのは、盛大で見ごたえのあるとかで、これはなかなか見る価値ありです。
写真は、我が家のそばで撮ったものです。
人ごみの苦手な私は遠く(歩いて20分程の処で打ち上げているのですが・・)から鑑賞するので満足してました。ちょっとお裾分けです。
ところで、8月29日に「福島県応急仮設住宅地域高齢者サポート拠点」が完成し引き渡しされました!被災者さん方の為のサポートセンター福島県第1号です。
ここは被災者の方々のデイサービスや生活支援サービスを提供する場となります。
郡山市の「ビックパレットふくしま」には316戸の仮設住宅があり、そのど真ん中に建っています。
木造ですので、アタリマエの感想ですが、木が美しい景観を作り、そして月並みな言葉ですが、優しい気持ちにさせてくれます。
完成後は見えなくなる骨組みもご覧ください。
和室はお布団を敷いてお休み頂けるばしょです。車椅子からも移譲しやすいよう、そして腰かけられるように小上がりになっています。
あとは全てバリアフリーです。
ここの利用者である川内村の方々は、暮らしの全てを置いて避難してこなければならなかった方々です。もちろん、老人ホームもデイケアセンターも何もかもです。
建設中にウチのばあちゃんに早く使わせてあげたいと言っておられた近所の方の言葉が心に染みました。
KUMIKO便り 2011.7.25
みな様お疲れ様です。
震災から4ヶ月が過ぎ、夏休みに入りました。
物凄い揺れと同時に、まるでドラマの暗転の画面のように風と雪が嵐や吹雪のように不気味に吹き荒んだ日からあっという間だったようでもあり、長い長い時間が経ったようでもあります。
生活物資が届かず、スーパーも開かなかったことも、長い行列を作ってやっと買い物できたことも、ガソリンを20?入れるのに長い時間待ったことも、断水と燃料不足でお風呂に入れず、温泉施設に朝の5時に並んで入ったことも遠い過去の事のように感じます。
あの時、卒業式が行えなかった学校はどれほどあったことでしょう。
夏休みに入った先日、福島県内のある小学校で卒業式が執り行われました。
私の母校は東京ですが、やはり卒業式が取りやめになったと聞きました。どれほど残念だったかと、彼女達の気持ちを思うと心が痛みます。
一生に一度の卒業式。
きっと生涯、卒業式のできなかった卒業は記憶に残るに違いありません。
戦争で卒業式ができなかった方々が還暦記念にやり直し卒業式を行ったなんてニュースを聞く度、やるべき時にやれなかった、けじめのつかない気持ちを持ち続けることの落ち着かなさを思います。
そして今回、同様の気持ちを抱き続けるであろう人々が再び生まれたことの重さを思います。
ここに、同様に卒業式が中止された立教新座中学・高等学校校長 渡辺憲司氏から発せられた卒業生へのメッセージを載せます。
これはHNKのラジオビタミンに出演された時に聞いて、深く心に響いたものです。
ちょっと長いのですが、卒業式の出来なかった学生だけでなく、大人の方々にも読んで頂きたいので載せてみます。
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
(校長メッセージ)
2011.03.24
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司
では、皆様今週も素敵な1週間を!
KUMIKO便り 2011.7.25
みな様お疲れ様です。
KUMIKO便りを書けずにいる間に季節は移り、福島は7/4の晩の激しい雷雨で梅雨があけました。
あの日、雨と雷の去った後、それはそれは美しい月が夜空に冴え冴えと輝いていました。
劇的と表現したい程の梅雨明けでした。
毎年、夏休みが始まる頃ですから、今年はかなり早かったですね。
そしてそれから連日の熱帯夜。
我が家も日付変更線を越える時間でも31度あった日がありました。
バテた方も多かったのではないでしょうか?
ただ、意外なことに外に出ると爽やかな夜風が実に涼しくて、いつまでも眺めていたくなるような美しい月夜が続きました。
坂の上にあるKUMIKOからは那須連邦に向かって開けた彼方に見える夕焼けもうっとりするほど綺麗です。
そして、茜色から藍色へと変わり、漆黒へと移る時間帯はKUMIKOの1日の中で最も美しい時です。
機会がありましたら、ぜひKUMIKOにこの天体ショーを見に来てください。
来週末の8/6は旧暦の七夕です。
里山を前にしたKUMIKOからは、回りに灯りがありませんので本当に夜空が美しく見えます。
今から天の川が楽しみです。
こんな日は織姫と彦星の逢瀬を地上から見守り、浴衣とうちわで夕涼みにいきたいものですね。
では、今週も素敵な1週間を!
KUMIKO便り 2011.6.27
皆様お疲れ様です。
いつもは「土日の便り」なのですが、
KUMIKOは先週の土曜日は開けられませんでした。
来場頂いた方には心よりお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。
先回のKUMIKO便りから時間が空いてしまい、はや梅雨入りです。
じめじめに負けていませんか?
KUMIKOでは「その風」のおかげで、雨が降っていてもじめじめせず、ほどほどの室温で、快適です。強制的な暖冷房のない時期は特に自然エネルギーシステムの良さが際立ちます。
ところで、梅雨の楽しみは紫陽花が雨に濡れて更に美しくなることだなぁと最近思っています。
小雨のそぼ降るほの暗い中、紫陽花の咲いているところだけ、異次元のように光っているような気がするのです。
といいつつ、写真は曇り空の下のKUMIKOの紫陽花です。
今、KUMIKOの周りでは雨にもめげず、さかんに特許許可局とホトトギスが鳴いています。
里山の木々もさらに緑が濃くなり、茂った葉が雨にしっとりと濡れてリビングから美しく見えます。
夏椿の白い花も咲き始めました。晩冬に咲く椿は花の少ない季節に美しく咲くことで魅了しますが、夏ツバキは葉に魅力を感じると共に、沙羅(シャラ)という美しい響きを持つ別名に惹かれます。一枝頂いて挿しました。
シャラともみじです
もみじってこんなかわいい花?が咲くんですね
裏の花桃の実が膨らみ始めました
ヤマボウシの花がうすみどり色から白に変化するのを始めて見ました
庭のあちこちにもみじの赤ちゃんが出現しています
さて、雨の日曜日、いらっしゃった方に、こんなことを言って頂きました。
一般に展示場は大きすぎて、「こんな家建てられない」と思うけれど、KUMIKOは現実的な大きさで良いですね、と。
KUMIKOは30坪の一部2階建てのちんまりとしたおうちです。
実はこのHPにはなぜか今までKUMIKOの間取りを載せていなかったのですね。現在頑張って修正中です。少々お待ちください。
ちんまりKUMIKOは未来博会場跡の方より下ってくると、ちょうど視界が開け那須連峰を背後に須賀川の街が見え始めたあたりで、緑の里山にしっくりはまって現れます。
この景色、シチュエーションはなかなか素敵です。
今度KUMIKOにいらっしゃる時には須賀川市街より空港道路(63号線)を通り、虫テックワールドへという看板より左折し、最初の信号をまた左折してください。
そこが須賀川〜母畑線(138号線)で、そのまま下って3分ほどで、この景色が見られます。
ほんの少し遠回りですが、その分得した気分になります。たぶん。
6月も今週で終わり、今年の折り返し点です。
東日本大震災からは百日を越えました。
百ヶ日は卒哭忌(そつこくき)ともいい、文字通り、悲しむ(慟哭)のを卒業するという意味があります。
亡くなった方を偲び、その方の命の分まで良く生きることを誓い、浄土へ旅立たせたことへの気持ちを切り替える時で、時薬が少しづつ効き始める頃でもあるのでしょうか。
私自身は失った命に対してそう簡単に別れを告げられないのですが、その命の輝いていた日々に貰った恩、してくれた心温まる諸々諸々に感謝の気持ちを告げると共に、自身の今後への誓いを告げることは生きている者の務めでもあるのでしょう。
では、寒くなったり、暑くなったりで体調を整えるのもたいへんな時期ですが、夏風邪などひかれませんよう、今週も良い1週間を。
KUMIKO便り 2011.5.18
GWも無事終わり、八十八夜、そして立夏と、季節は確実に夏へと移りつつあります。
皆様どんなGWを過ごされましたか?
KUMIKOは4/29〜5/1、5/3〜5、7・8と開けました。
この間、巷では放射能の被爆について色々言われている中、東京や宮城、そして県内からご多数来場頂きました。皆様本当にありがとうございました。
その内、中越地震の折にも現地に視察に入った建築家さんが、被災建物を見たいとの事で、須賀川は加治町〜中町〜八幡町と中心市街地の道路の陥没や、崩壊建物が多い所を案内しました。
その辺りは室町時代、1448年より9代続いた二階堂氏の須賀川城が構えられていた場所です。(須賀川市教育委員会編纂資料より)
1589年に伊達政宗に攻められて落城の後、内濠が埋められ、仲宿や牛袋といった近隣の町人達が移住させられて、町人町になりました。
以来、鉄道が通る以前まで奥州屈指の宿場町として栄えた史実を知れば、蔵が多いのが頷ける一帯です。
時代が下ってからは釈迦堂川や阿武隈川の水運を生かしたタバコの一大集散地でもあったようです。
それらの蔵の被害が甚大で、何百年と町の風景を形作ってきたものが取り壊され、跡が更地になって、辛い光景を作り出しています。
宿場町として人馬が行き交って400年以上の時間の経過があるにも関らず、埋立地はやはり柔らかいのですね。
埋め戻された濠に沿って、陥没し、道路が、家が、蔵がぐちゃぐちゃになっています。
歴史はきちんと把握しておかなくてはならないね、との建築家の言葉が心に残りました。
本丸跡は二階堂神社としてお社が建っており、秋の松明あかしのお祭りでは神社から御神火を奉受します。
巨大な欅に挟まれて残っている神社の石垣はそう古くはないのですが、欅の荘厳さに、その前を通る度に深々と頭を下げたくなる不思議なパワーを感じていました。
今回、その石垣が見事に崩れていました。
蔵は、確かに現在の暮らしには必要不可欠ではないものの、町の財産です。
それが次々と重機で壊されて無くなっていく様を見るとなんともいえない気持ちになります。
土蔵や石垣がこれからどのようになっていくのか、希望の持てる修復への道を選択して欲しいと願わずにはいられません。
KUMIKO見学のの翌日は宮城、岩手と被災地を視察に行った建築家達は、地震+津波の惨状を目の当たりにしてもっと心を痛めたことでしょう。
しかし、福島は違う意味で深い傷を負っています。
何時終息するかわからない原発と放射能に加え、風評被害。これが一番怖いです。
でも、今私は『広島も原爆を落とされても、それでも10年で復興した、だから、大丈夫!応援してるよ』という広島の人の言葉に一縷の希望を見出したい。
写真はGW中のKUMIKOの回りの花達です。花桃がGW中咲き誇り、
初夏を告げる山吹の花が薫風の中揺れていました。
では、皆様元気出していきましょう。今週も良い1週間を!
KUMIKO便り 2011.4.28
ここのところ震災被災者の為の復興住宅づくりに埋没していました。気がつけば、春も深まって、桜が散り際で、明日からはGWが始まってしまうのですね。なんて、時の流れの速いこと!
さて、私達はいつも住まいは暮らしを守るシェルターだという想いでいますが、今回の震災ではその想いを一層強くしました。
私自身、このひと月あまり毎日揺られ続けて思ったのは、この家は倒れないから大丈夫!という確証があることが、どんなに安心し、安眠でき、そして心強いかということです。これにつきました。
ですので、今回の震災で確信できたKUMIKOの耐震性は生かさなくっちゃ!と強く思います。安心して暮らしていける住まいを提供するのが自分達の役目でないかと思います。復興住宅は特に震災の被害を一番被った人達が住む家です。だから、安心感は絶対に必要だと思います。
・・・そんな私の力んだ思いとは関係なく、季節は確実に移り、KUMIKOのまわりでは、梅、桃、桜が一気に咲いて目を楽しませてくれました。隣町の「三春」という町名は三つの花つまり春が一度に見られるということで名付けられたと聞きました。今年は須賀川でも一度に春を味わえました。震災に耐えた人々に少しでも楽しい思いを、との花々の気持ちでしょうか。
それにしても、今年は震災の影響であまり混雑しないで滝桜を見られそうとの予想は見事に裏切られ、やっぱり、桜に近づくこともままならなかったと、はるばる山梨から福島応援ツアーと銘打って来てくれた友人から聞きました。申し訳ないことです。KUMIKOは滝桜から車で30分ほどの所です。滝桜にお出でになりましたら、ぜひ、KUMIKOにも足を運んでみてください。
写真はKUMIKOの建つ須賀川市の総鎮守様の境内の桜です。ここにはかつて伊達政宗に滅ぼされた二階堂氏の居城であった須賀川城の外堀が残っています。
(その戦さに対する鎮魂の祭りが日本三大火祭りの一つと言われる「松明灯し」です)
そして「エゾヒガンザクラの群生の地」です。
樹齢300年という巨木が群生していて、全国にも例を見ないものだそうです。しかも、純粋種が採れるので様々な桜の台木用として活用されて、毎年数万本の苗木が国内はもとより、海外にも輸出されていると看板にありました。
私達は普段桜を見る時にあまり首を上に向けることはありませんが、ここは思い切り首を傾け、顔を真上に向けなければなりません。本当に美しい知る人ぞ知る桜です。今年はもう、散り始めていますが、秋の紅葉も実に見事ですので、今秋を楽しみにお待ちください。
この写真はKUMIKOの隣の古民家です。茅葺の屋根と桜と杉が美しく調和しています。すぐ前の水たまりにはオタマジャクシの卵がありました。古民家から南へ目を転じれば、空港道路が池を挟んで見えるのですが、懐かしい春の原風景です。
KUMIKOと花桃です。GW中は見られるかもしれません。この春の雑木林の風景と共に穏やかなKUMIKOの時間を体感しにお出でください。お待ちしております。
ところで、被災地全てでは、国勢調査のデータを基に仮設住宅の目安を試算すると、15万強必要と出たとの事です。
KUMIKOのある福島県須賀川市では市の被害調査の結果、昨日現在、住宅の全壊が379棟、大規模半壊が130棟、半壊が598棟ありました。そして、蔵が沢山くずれたと書きましたが、蔵を含む非住宅の全壊が422棟、大規模半壊が148棟、半壊が328棟、とのことでした。
現在須賀川市では、市内4箇所に194戸の仮設住宅を建設中です。一日も早く、普通に生活ができるようになってほしいと切に願います。好きなメニューの料理をし、食卓で食事をし、洗濯をし、毎日着替え、お風呂に入り、安眠できる暮らしを。
KUMIKO便り 2011.4.5
皆様お疲れ様です。KUMIKO in 土日の便りです。
日に日に暖かくなっていきますね。
お陰様で、私のまわりでは「なんとかやっと平常に戻り始めましたね」という挨拶が交わされるようになってきました。
住まいはまだ直っていなくとも、水、電気、食料、ガソリンが少しずつ入手しやすくなってきました。
ただ、どこの店舗も夕方には閉店してしまいます。
灯りが道路にもれないことで、こんなにも夜が暗いものであることを今更ながらおもいしりました。
3日は新月でしたが、江戸の昔、新月の夜は「鼻をつままれてもわからない」と言ったのを、実に納得できる話と思った江戸好きの私です。
ありがたいことに、震災直後の混乱期を避けて安否を気遣う電話が全国からまだまだ続いています。
先日入った恩師からのメールには「今は、オールジャパン、全日本で被災地を支援していますので、決して一人ではないことを、被災地の皆様にお伝えいただければと思います。」と結ばれていました。
こうして応援してくださる皆様から元気と勇気を日々貰っています。ありがとうございます!
土曜日2日はうす曇りでしたが、朝から室温は15度ありました。
外気温10度、棟温25度でしたが、午後には棟温は50度まで上がりました。
外気温が上がらなくてもお陽様は確実に働いています。
土曜日には玄関へのアプローチにあるサンシュユの花が咲いていました。
黄色の粒粒が可憐です。
今日5日は清明(せいめい)ですね。これは「清浄明潔」の略だそうです。
万物に晴朗の気が満ち、命が輝いてくる季節。KUMIKOキッチンの棚に置いたアイビーからも瑞々しい赤ちゃん葉っぱが次々と出てきました。
震災があっても、自然が確実に移り変わっていく様にほっとしています。
被災した方々の為にも早く暖かくなりますように願わずにはいられません。
今日5日は旧暦上巳の節句、桃の節句でもあります。
KUMIKOでは旧暦に合わせて日曜日までお雛様を飾っておりました。
このお雛様もあの揺れに全く動くことなく、プチ床の間に鎮座していました。
こうして何の損傷も受けなかったKUMIKOの構造で役に立ちたいと、私達は今、復興住宅を考えています。建物の安全性と共に、杉のやさしい香りが少しでも癒しになれば嬉しいと、頑張って設計中です。
日曜日3日の朝は外気温が6度でも棟温は30度もありました。本当にあったかい一日でした。
東京の方からは桜の便りが聞こえ始めましたね。
今年はことのほか桜の開花が楽しみです。
花より団子ならぬ花より花見酒かもしれませんが・・・。
では、今週も良い1週間を。
KUMIKO便り 2011.3.31
KUMIKO再開します!
先日KUMIKO会議でいつからKUMIKOを再開させるかを協議しました。
震災だけでなく、原発の問題があるこんな時に住まいを見にいらっしゃる方がいるだろうかという懸念がアースファミリーの面々の頭にもありました。
しかし、こんなときだからこそ、「いつもどおり」が大事なのではないだろうか!と、いうことで、4月から再開することになりました。また、毎週末土日に開けます。
早速、2日土曜日には仮設住宅のための知恵を集結するべく東西から設計さんが集まります。
皆様の力が合わされば、足し算ではなく、掛け算のパワーとなるでしょう。
その力は希望を生みます。
気が付けば、もう、明日から4月なんですね。
桜の木々が遠くからみるとうっすらとピンクになってきています。
鶯の初鳴きも聞こえました。
春はすぐそこ。皆様前だけを見て参りましょう。
今週も宜しくお願いします。
蕾が膨らんで
ふきのとうが開いて
梅は満開
鶯の初鳴きも聞こえて
古民家は春のよそおい ・・残念、足元のちっちゃいいぬふぐりの花々は見えませんねぇ
今朝、事務局に来る途中、安達太良山がくっきりと青空に映えていました。奥羽山脈〜那須連邦までぐる〜と、それはそれは美しい山並みが拝めました。
皆様元気出していきましょう!!
KUMIKO便り 2011.3.20
地震から10日経とうとしていますが、水は出ましたか?身体は、家族は、家は、職場は如何ですか?
3/6から今日20日まで啓蟄でした。
冬篭りをしていた虫たちが穴を啓いて地上に這い出してくる季節という意味だそうです。(Nプランニング二十四節気より)
“穴を啓いて地上に這い出”し終えたら余震が少なくなるかな?なんて、今は些細なことにも希望を見出そうとしています。
そういえば、夜、地震の揺れに飛び起きる回数がぐっと減った気がします。
今宵はスーパームーン満月です。
満月に願い事をすると想いが叶うという伝承を信じ、一日も早い原発事故の終結と震災からの復興を月に祈りました。
確かに、地球と月と太陽が一直線に並ぶ時、何かが引き起こされそうな気がします。
ところで、先日KUMIKOは全くの無傷と書きましたが、
知人より、阿武隈川を越えると地盤が良いと云われていると聞き、アースファミリーの一員であるサンコー地水さんに確認しました。
確かに須賀川市内は洪積世〜沖積世という比較的新しい1万〜200万年位前の地層の上に立っている街だそうです。(深い処にある地盤です)
それに比べ、その中心市街地から車で数分の(阿武隈川を越えてすぐの)KUMIKOの辺りは古く、先第三紀世代という2500万年以上前の強い岩盤の地層とのこと。
但し、元々は田んぼでしたので、建設時は基礎位置N値=2より2t程度の、通常の布基礎仕様では足りない柔らかい地盤だそうです。
そんな、強いとは言い難い地盤であり、盛り土をした上に建っているにも関らず、建物の内外共に何一つ傷がつかず、何も動かず、落ちなかったのは、構造の頑強さ&しなやかさに他ならないのではないでしょうか。・・自画自賛。
また一つ未来に希望が持てる種が増えましたね。
これから、さらに素材、建て方、組み方を洗練させれば、より多くの人々の役に立つことは間違いありません。
今、未曾有の大災害で大変な時ですが、こんな時こそ必ず明日は来ると信じて、日々できることから着実にやっていきましょう。
写真は地震翌日に撮ったKUMIKOから西に見える磐梯山です。
奥に頂きが左右二つ見えますが、電信柱の写っている中央の窪みが、かつて小磐梯といわれ約120年前(明治21年)に大噴火して吹き飛んだ跡です。その時の土石流によって堰き止められた長瀬川が桧原湖や五色沼などの湖沼群を誕生させたことにより、今のコバルトブルーやエメラルドグリーンに輝く美しい“裏磐梯高原”が存在します。
しかし、かつてここに暮らす多くの人々が犠牲になったことを忘れてはならないのだと思っています。それは、この山の麓に産まれた野口英世が12歳の時のことでもあります。
KUMIKO便り 2011.3.16
皆様大丈夫ですか?
水は出ましたか?
今日は事務局の水が出ました。
代表の嶋影は昨日より建物の危険度判定士として、街へ繰り出しています。
KUMIKOのある須賀川の街なかは凄いの一言です。
特に中心部は崩壊建物が多々あり、大谷石の塀は軒並み倒れています。
土蔵は崩れて道をふさいでいます。
須賀川は蔵の多い町です。
KUMIKOから数キロの我が家は瓦が落ち、屋内の家具は全て動き、中身が散乱しています。
我が家の屋根です
そんな状況の町から数キロのKUMIKOに、昨日も様子を見に行って来ました。
これだけの余震が続く中でも、建物の内外共になんともなかったことに今更ながら驚いています。
奥行きが15センチしかない神棚からも、お札はもちろん、水も塩も何も落ちるどころか、微動だにしていません。
この写真は震災翌日に何も手をつけずに撮りました。
まったく動いてないお札!水!塩!
花瓶もインテリアも。
玄関の花!
キッチンのカウンターの上も!
あら捜しをするように見たら、ごく僅かに柱と漆喰壁の間に隙間が出来ていたくらいです。
ほんの少し、床に漆喰の粉が落ちていてやっとそれとわかりました。
代表はすでに危険な建物に入っていますが、
こんな時、建築に携わるものとして私達は何ができるだろうと考えています。
KUMIKOのこれほどの頑丈さをいみじくもこの非常事態で確認できたことを生かしていかねばならないと思っています。
阪神大震災の折、当時私が在籍していた会社ではプレファブリケーションの利点を生かし、避難住宅を作りました。
プレファブリケーションはKUMIKOも同じです。
工場でKUMIKO真壁構造体を造り、運び、組立てるシステムをいかにスマートにまとめられるかで、こういった災害時に役に立つのではないかと、今回KUMIKOをつくづく見て思いました。
須賀川のメチャクチャな街中を通り、KUMIKOに行くと、何事もなかったように木の香りが私を包んでくれました。
この癒しも震災に傷ついた家族の心を癒すのではないかとホッとしながら思いました。
今私はあちこちの建物の不具合を前にして何もできない自分に悔しい思いをしていますが、アースファミリーのメンバーはプロの職人として今まさに飛び回っています。
メンバーも含め、皆々様、どうかお怪我のないように心から祈っております。
そして、全国から激励のメール&電話、ありがとうございました。
これからの生き方が勝負です。
頂いた命、大切に使います。
このピンチをチャンスに変えるのは人のチカラです。
どん底を打ったら、あとは登るだけです。
頑張りましょう!
KUMIKO便り 2011.3.7
皆様お疲れ様です。KUMIKO in 土日の便りです。
このところ三寒四温を繰り返しつつも春は着実に近づいてきているのを感じますね。
土曜日、KUMIKOに来るまでの通り道に紅梅が咲いていました。
1月にお引き渡ししたAさんの庭の白梅も咲いています。なかなか見事です。
私にとって梅は春の到来を感じる一つです。
子どもの頃、家の裏に梅の木があり、花が咲くと、さあ、新学期と思ったことを思い出します。
桜ももちろん美しいし大好きですが、新しい季節が始まる、わくわく感が梅にはありますね。
観梅に行きたいですねぇ。
春の足音はそよ風のデータにも感じました。
(データに季節を感じるなんて、ちょっと知的!と嬉しい)
5日の朝の外気温が3度。これは冬と同じですが、棟温が29度もありました。
季節の移ろいと共に、太陽の高度が高くなり、より暖かくなったのですね。
この日、外は一日3〜5度でしたが、棟温は51度まで上がり、室内も順調に暖かくなり、午後は穏やかに20度台を維持しました。
ところで、昨年から「山で柴刈り」をやりましょう、という話が度々出ていましたが、今年こそ、頑張って実行したいと考えています。
樹木医さんと一緒に、早春の山でカタクリを、深緑の山で木々の観察を、或いは市の名木を、また、きちんと林業活動がされている山とされていない山を見て頂いたり、木を伐る場を見て頂いたりしたいと思います。
この主伐の現場は命を頂くという感動を覚えるとか。
私自身も楽しみです。皆様、ぜひ、一緒に歩きましょう。
具体的に決まりましたら、改めてお知らせします。どうぞお楽しみに。
6日は朝の外気温がすでに7度あり、棟温28度に室温13度もありました。
日中は外気温も12度、棟温も53度まで上がりましたが、
この日は千葉から、工務店さんが大工さん方を伴っていらしてくださいました。
嬉しいことです。遠路はるばるありがとうございました。
また今日から寒くなってますが、皆様体調管理に気をつけて、今週も良い1週間を。
Aさんの庭の梅です。
屋敷内にある鎮守様です。
とってもよいお顔立ちのお狐様です。
KUMIKO便り 2011.2.28
皆様お疲れ様です。KUMIKO in 土日の便りです。
福島も本当にあったかくなってきました。
ちょっと前は土曜日に開けると寒くて大変だったのですが、ぬくぬくしてます。
26日は朝から室温12度ありました。外は3度ですが、棟温は22度ありましたから、春なんですねぇ。
お昼には棟温は53度まで上がりました。その時の外気温は5度です。
27日は朝で室温13度、外7度、棟温19度。
2時頃が最高にあったかくなって、棟温は60度までいきました。その時室内は22ど。
寒がりの冷え性のわたしでも、実に気持ちの良い温度でした。
外も11度まで上がりました。
KUMIKOの地主さんの古民家(KUMIKOのすぐ傍にあります)の周りでは福寿草が咲き始めています。
春先の黄色の花はいかにも春が直ぐそこまでやってきていると感じさせてくれます。
梅の蕾も膨らんできていました。
杉も赤くなって、今か今かと花粉を飛ばす準備中のようですが、皆様花粉に負けないで元気にいきましょう!
では、今週も良い1週間を。
梅の蕾も膨らんできてます
葉っぱの赤ちゃん!バックには福寿草
早春を告げる花福寿草
KUMIKO便り 2011.2.21
皆様お疲れ様です。KUMIKO in 土日の便りです。
19日土曜日は‘雨水’(うすい)でした。
雪解けの水ぬるむ―いよいよ早春の足音が聞こる季節になってきましたね。
KUMIKOよりはるか西に望む那須連峰がふわ〜とかすんできています。
HPの写真もご覧下さい。でも、目には見えるのに写真にはあまり写らないんですよね。
朝の外気温は4度、棟温18度の時、室温は10度でした。
外気温の変動は殆どありませんでしたが、棟温度は午後には58度まであがり、ストーブに薪をくべるのをやめても、室内は24度まで上がりました。
ところで、今週はKUMIKOのストーブの写真も載せてみました。
これはみにくいあひるの子という商品です。(もう廃盤になってしまいましたが)
これで30坪のKUMIKOがあったまるのか、と思うほどちっちゃいのですが、そよ風の威力もあるから大丈夫。
それに、この炎を見ると心もほかほかしてきます。
ナマ火を扱うのは、初めての私ですが、薪ストーブは、火がちゃんと燃えているかな、と気にかけることが楽しい。
スイッチひとつでお湯が出て、お風呂が沸く暮らしをしてきている私は、最初なかなか薪を燃やすことができなかったのですが、
焚き付けには燃えやすい木っ端や杉っ葉が必要とか、その火を持続させるのは太い薪が必要とか知ってそんなアタリマエの事も新しい知識として嬉しいことでした。
実は昔話に出てくるシバカリって何のことか知らなかった情けない私ですが、今年は『山に柴刈りに』ということにも挑戦してみたいと思っています。
それをストーブに使ってみたいと思っています。
私も!という方々、御一緒に如何でしょうか。
また、薪で燃やしているその香りはなんともかぐわしいものだということも新しい発見でした。
化石燃料を燃やすと嫌な匂いがしますが、木は匂いという表現がそぐわないですね。香ると表現してしまいます。
さて、20日は朝の外温度が5度でしたが、棟温25度、室温13度ありました。
暖かい1日で、午後には外気温が10度まで上がり、棟温は55度、室温は22度まで上がりました。
KUMIKOの庭先の木々の蕾も膨らみ始めましたよ。
私は厳しい冬の間にも生命が育まれている様子を見るのが大好きなのですが、
これからどんどん膨らんでいって、みずみずしい赤ちゃん葉っぱが一生懸命固い殻から出てくる様には本当に元気を貰えます。
この写真もHPに載せてあります。
全国版では、あちこちから鶯の初鳴きのニュースが届いていますが、
KUMIKOでは5月位からでしょうか。
前の里山で本当に美しい声を響かせてくれます。
昨年は私一人でその音色を堪能しましたので、今年は「聞いて聞いて!」とお知らせします。
ぜひ、お出かけください。
では、今週も良い1週間を。
みにくいアヒルの子
炎ほのお炎
芽が膨らんでいます
那須連邦
KUMIKO便り 2011.2.14
皆様お疲れ様です。今週はKUMIKO in 金土日の便りです。
雪に埋もれた3日間でしたね。雪に包まれたKUMIKOと、中からみる庭〜里山の風景をお届けします。
さて、建国記念日の11日(金)の朝はまだ雪が降り出す前で、外気温1度、KUMIKO棟温※8度の時、室内は6度でした。
昼過ぎから雪が降り出して、一日外は1〜2度でしたが、棟温は昼時には20度まで上がりました。
室内は30坪の広さを薪ストーブ1個とそよ風からの太陽の暖かさで暖めるのですが、1週間ぶりに空けたので15度どまりでした。
翌12日(土)になると、昨夜からの大雪でKUMIKOは真っ白でしたが、外気温1度、棟温8度でも室内は10度。
13日(日)は晴れ。写真はこの日のものです。時々粉雪が舞ってきて、外気温は一日2〜3度でしたが、お天道様が照って、棟温は40度まで上がり、室内も22度とぬくぬくしていました。
ぬくぬくの状態は木の香も関っているんじゃないかなと毎週末KUMIKOの鍵を開けた時に杉の香に包まれて思います。
多分、コンクリートの箱ではすこうし、ぬくぬくの感覚違うような気がすると、新建材だらけの家の設計に関ってきて、自邸もそうだった私は思います。
KUMIKOはリビングの窓開口がとっても大きい上、目の前が里山なので、真っ白の雪景色がなお美しいのです。
薪をストーブにくべながら、この景色を独り占めするのはもったいないと思いつつ、感謝して毎週番人しております。
では、今週も良い1週間を。
青空に雪!
真っ白
天窓の上の雪と青空
ぬくぬくの中から見る里山の雪景色!
KUMIKO便り 2011.2.7
先週のお便りでも迎春ですよ〜と書きましたが、2月3日は節分でした。
おうちで豆まきはされましたか?
福は、内にも外にも満ちていて欲しいものですね。
(それって、フクハ〜ウチ!フクハ〜ソト!って言えば良いのでしょうか??)
私は今年の吉方の南南東を向いて恵方巻きを頂きました。美味しかったです。
商売に乗るのもワルクナイ話です。
豆は歳の数+1頂けるそうですから19個と・・・。(わかる人にだけわかる話)
ところで、迎春と木の家KUMIKOとの関係はそれではなく、木の家の命「木」の切り旬が終わったということに繋がります。
木の伐り旬とは、晩秋〜冬。それは陰暦でみるとわかりやすいです。
つまり、新暦でみれば2〜4月が陰暦では1〜3月で春なので、伐り旬が終わってしまったということです。
同様に5〜7月が4〜6月で夏。8〜10月が7〜9月で秋(なので新暦9月は秋の真ん中ということで仲秋の名月と言います)。
11〜1月が10〜12月で冬(すると赤穂浪士の討ち入りの陰暦12/4に江戸で雪が降った話が理解できますね)と言うわけです。
陰暦はよく農作業の暦としても活用されると聞きますが、生物(植物も含めた)の営みととても合っているのだそうです。
例えば、昨年、KUMIKOがオープンした時に、要田さんはまだ庭木を植えられないと言っておられましたね。
節分を過ぎないと、木が植えられないとは、まだ地面が凍ってしまって、根付ないからだそうです。
プラス水分も吸い上げないから、根付けないんですね。
逆にその時期に(山の木を)伐採すれば、水分が木の中に少なく、でんぷん量も少ないので良いのです。
つまり、含水率が低ければ乾燥しやすい。
この話を聞いただけでも、伐り旬が有り、時間をかけた乾燥が必要という材料を主役にする木の家を供給する仕事は、
とてもナイーブで大変な事だという事を実感します。
こんな話も、木の家に興味があってKUMIKOに来場してくださるお客様と話しています。
木の話はとても広く深く、又、KUMIKOの居心地の良さと相まって来場者は1〜2時間はゆっくりとお茶を飲んで寛いでいかれます。
因みに春を迎えた5日の朝は外気温5度、棟温9度で室内が10度ありました。1日晴れていましたので、昼にはストーブは薪をくべるのをやめてしまったのですが、1時の時点で23度あり、来場者さんは暖房無しでもぬくぬくした温かさのあるKUMIKOに驚いていらっしゃいました。
6日は曇りでしたので、朝の外気温は0度で、棟温6度でしたが、室温は13度ありました。
では、皆様、今週も良い1週間をお過ごしください。
KUMIKO便り 2011.1.31
今週の金曜日2/4はいよいよ立春ですね。
その前日が陰暦1月1日ですので正しく迎春ですね。
今回の土日はその前の最後の冷え込みとか。
三寒四温で徐々に温かさはやって来るんでしょうが、春はあと少しですね。
29日の土曜日は、朝が外気温0度で室温5度でした。
1週間人がいないと家は冷えます。
徐々に上がって日中一番温かい時間帯の外気温は4度。棟温は10〜35度でしたが、この時室温は23度まであがりました。
20日の日曜日は外気温0〜2度。しかし、土曜日のぬくもりが残っていますので室温は朝でも11度ありました。棟温は7〜42度。
屋根の温度が42度まで上がると室内はぬくぬくになります。
このおひさまのぬくもりは気持ちいいんですよ。
KUMIKO便り
皆様お疲れ様です。KUMIKO in 土日の便りです。
で、始まるこの便りは、土日にKUMIKOの番人である私がKUMIKOを開けた時に起こったことや、感じたことを週一で社内に向けてポツリポツリと発信しているものです。
KUMIKOは『まっとうな家づくりがしたい!』という職人達が集まった「地球と家族を考える会」が一生懸命作った家ですので、職人さん方に今週のKUMIKOはこんなんでしたよ〜と伝えたくて始めたものです。
毎週の室内外温度や棟温度の情報も載せますので、「そよ風」を活用した住まいがどんな感じなのか、数字からだけでもお伝えできればと思います。
どうぞよろしく。
地球と家族を考える会
「地球と家族を考える会」は家造りに関わるプロ達が一つの志を持って集まって作った会です。
「志」とは住む人にはもちろん、造る人にも、家が建つ地域にも、さらには地球にも、goodな家を提供したい、という想いです。
そよ風
そよ風はKUMIKOに使われている自然エネルギーを活用する「空気集熱式ソーラーシステム」の名前です。
寒い時には陽だまりのぬくもりを、暑い時には高原の爽やかさを、届けてくれます。
「そよ風」を作っている環境創機鰍ヘ地球と家族を考える会の構成メンバーでもあり
ます。
ソーラーとついてますが、太陽電池や太陽熱温水器※ではありません。
※そよ風でお湯採りすることも可能です
冬は屋根を利用して太陽光で暖めた空気を室内に取り入れ、床下に蓄熱し、
夏は放射冷却で冷えた空気を室内に取り入れ、床下に蓄冷するという、
自然の恵みのチカラと家のツクリを利用して家の中全体を同じ温度にし、
家中を快適にする自然利用の暖冷房なのです。
その理屈を説明しますと
金属屋根は冬でも天気の良い日には手で触れられないほど熱くなります。
反対に夏の夜の金属屋根は放射冷却により結露するほど冷たくなります。
その熱(温かいor冷たい)を空気を用いて床下に運び、
熱容量の大きな基礎コンクリート部分に蓄熱し部屋に循環させるのです。
KUMIKOは、みちのくの玄関口、白河の関を越えてすぐの東北の中でも比較的南
にありますが、ほどほどに雪は降ります。
しかし特に雪の多かった今年の冬でも、晴れた日にはKUMIKOの屋根は60℃位に
なりました。
補助暖房としてちっちゃな薪ストーブを利用していますが、ストーブの熱と太陽の熱を
「そよ風」で循環させた屋内は、雪の日も家中ぬくぬくほわ〜とした温かさで快適でし
た。
これから春〜夏へと向かいますが、どんな避暑地の涼しさが体感できるのか、今から
楽しみです。
それはまた夏にご報告しますね。
真壁構造体

真壁とは柱が見える壁のことですがKUMIKOの真髄はここにあります。
「真壁構造体」はKUMIKO独特の家を支える仕組みです。
基本は板倉造りと呼ばれる日本古来からの建築技術に
あります。
土蔵は土の壁の蔵ですが、板倉は文字通り、板の壁の倉
です。
柱も木なら、壁も木と、木だらけの空間になります。
この板壁に、住まいとして使えるようにKUMIKOだけの技
術を加えたものがKUMIKO真壁構造体です。
住まいとして使えるように、とは・・・、
土蔵も板倉も長年日本の暮らしの中で息づいてきたものですので、高温多湿の日本
の気候風土に実に合っているといえます。そして、食物や衣類や調度品にとって快適
な室内(蔵内)環境であるならば、人間にも快適な環境であるに違いないのですが、
法律上「住まい」としては建てられないのです。
建築基準法には木の柱や壁は金具で繋いだり、押さえることという縛りがあるため、
板倉のように木の柱と木の壁(木の床も)を組んで造るという構法では建てることが
できないということと、
「耐力壁」といって、地震や台風といった自然からの脅威・災害に耐えるために壁を
沢山造らねばならず 窓がとりにくいという欠点があり、人の住まいにするには改善
が必要なのです。
KUMIKOは、この長年培われてきた日本の素晴らしい匠の技を住まいづくりに生
かしたいと考えました。
さらに、その板壁を国策により戦後植林されて、切り旬を迎えている50〜60年生の
杉や杉間伐材を使ってできないだろうかと考えました。
杉や桧の人工林は天然林と違い、切って使って、また植林するという循環の仕組が
非常に大切なので、間伐は必要不可欠なのですが、
安くて扱いやすい輸入木材に押されて国産材が売れなくなったことや、時代の流れ
などにより、切り出すだけで赤字になってしまうことが多いため、長いこと日本の木は
材木屋さんにも置いていない状態が続いてきました。
しかし、
需要が無いから供給体制が整わない、というならば、家づくりに使えるシステムを作
らなければ、ということでKUMIKOに間伐材が使えるような構造を考えたのです。
KUMIKO真壁構造体は日本の匠の技を未来に引き継ぐとともに、日本の木を使う
道を開くことにもなるのです。
ちなみに、このKUMIKO真壁構造体は国土交通省大臣認定も取得しているので
す。
国産材の家づくり
「きなり」の外観
KUMIKOと一緒に「ふくしまの家地域活性化支援事業」に採択された「ふくしまの家きなり」を見に行って来ました。
二階から吹き抜けを見下ろす
「きなり」は福島市近在の林業家、製材所、建築士、大工で構成された「ふくしま家づくりネットワーク」が生み出したものです。
KUMIKOと同様、福島県産の木を無垢のまま使い、伝統的板倉工法に独自に開発した新しい技術を加えた構法の地産地消の住まいです。
関わる職人さんもまた、大工さん始め、建具屋さん、瓦屋さん、左官屋さん、畳屋さんなどなど、地元の職人さん達で構成され、漆喰壁と建具の格子がとても印象的でした。
「KUMIKO」って?
KUMIKOは地球と家族を考える会が福島の杉の間伐材でつくる住まいのネーミング
です。
現在、在来木造と言われる木の家は一般的に木と木を金物で繋いで造ります。
一方、KUMIKOは古民家の木と木と組んで造る伝統構法を基に、新しい技術を加え
た構法で造ります。
だから木組みの組みをとってKUMIKOなのです。
古民家と言われる合掌造りの家が、この木と木を組み合わせる技を使った伝統構法
の造りの基本です。
KUMIKOは福島の杉の間伐材を使って木組みして造りますが、さらに、新しい技術
も加えてますので、未来の古民家といっているのです。
キッチンでおしゃべり
キッチンはおウチの中でお母さん(or妻)との会話が自然にできる場所のベスト3に入るのではないでしょうか。
脳ミソの半分は料理のことで占領されているから、(学校や職場での)深刻なグチも言いやすいのかも?しれません。
どうでもイイような話もまたしかり。
お母さんが料理をしている傍で、切ったり洗ったり料理のマネゴトをしながら、あるいは、カウンター越しにするハナシは、
そばにいながらも視線はお鍋に、まな板に向いているから何気なくできるのかもしれません。
そんな生コミュニケーションが自然にできるようにKUMIKOのキッチンは家の真ん中にどんとあります。
キッチンの回りを家族がお魚みたいに回遊できるのです。
食育
KUMIKOは‘早寝早起き朝ご飯’に諸手を挙げて賛成です。
「いただきます」「ごちそうさまでした」を家族みんなで言い合えることの幸せは何にも代えがたいものなのではないでしょうか。
これからそんなKUMIKOのつぶやきをぽつぽつとのせていきます。



